JUGEMテーマ:沖縄

沖縄県立博物館・美術館では

本物の琉装を着用することができます。

行くたびに違う琉装の格好ができて楽しいです。

興味のある方は是非、お召しになって下さい。

 

琉装花蔵織

 

琉球の染め織り・衣類の事は 沖縄琉装苑

 沖縄県那覇市久茂地3−6−11−203 メゾン久茂地
 tel  098-863-8131
沖縄琉装苑のメールアドレス

 okinawa@ryusoen.net

沖縄琉装苑のホームページ
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店舗営業  完全予約制  *出張の為、不定休あり
 

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JUGEMテーマ:沖縄
梅雨が明けると、夏の甲子園にどこの学校が代表になるか気になる。
私は出身の「首里高等学校」と「糸満高等学校」を応援している。

理由は、母方の祖父が「糸満高等学校 校歌を作曲」し
両親や叔父・叔母の母校が糸満高等学校だから、とても身近に感じている為。

本日、第96回全国高校野球選手権沖縄大会が行われた。
惜しくも、糸満高等学校は準優勝だったが
優勝した沖縄尚学高校には頑張って欲しい。

先日、糸満高等学校の校歌の由来を改めて、母と叔父・叔母に訪ねた。

当時、祖父は糸満高等学校で音楽を教えており
国語の担当だった、嘉味田宗栄先生(後の琉球大学教授)に
「校歌を作るので、この詩に曲を付けて欲しい」と依頼があったそうだ。

祖父はマラリアにかかっていた為に、職場である学校も欠勤をよくしていたが
布団の中で震え、うなりながら作曲をしていた。

「君は、この作詞を見てどう思うか?」と、糸満高等学校に在学中だった
叔母に祖父は聞いたそうだが「う〜〜〜ん、意味わからない・・・?」
と、今時の女子高校生と同じような答えをしたらしい。
昔も今も、若者(わかもの)は馬鹿者(ばかもの)だね〜(笑い)

だが、小学校の教師をしていた祖母は下記のようなアドバイスをした。
「校歌は歌が上手い人だけが唄うわけではないので
生徒や教師、誰でも唄える音域で作曲を行った方が良い。
また、リズムに乗って歩くことが出来る、行進曲がベストであろう。」

それで、大勢の人が一緒に歌える音域で、糸満高等学校の校歌は出来上がった。
だが、作曲した祖父は死ぬ間際まで、叔母に愚痴をこぼしていた。
「作詞は素晴らしいが、曲は気に入らないので、誰か作曲し直してくれないかな・・・」


話は変わるが、叔母が糸満高等学校在学中に、祖父は高校を退職をしている。
退職の挨拶は朝礼で、全校生徒に向かってしたそうだ。

「私には、沖縄一中・鉄血勤皇隊で亡くなった息子がいる。
糸満高等学校には、息子の同級生の一中の生徒が何名も在学していて
彼らの顔を見るたびに、息子を思い出し辛くなる。」

沖縄の地上戦では、すべてが焼け野原だったため
高等学校が設立されたのは下記の順番だった。

1946年1月16日 糸満高等学校を設立。
1946年1月27日 糸満高等学校首里分校として分立。
1946年3月31日 糸満高等学校首里分校から独立し、首里高等学校を設立。
1947年9月30日 首里高等学校那覇分校として分立。
1948年2月27日 首里高等学校那覇分校から独立し、那覇高等学校を設立。

簡単にまとめると、「糸満」→「首里」→「那覇」の順番に高等学校は設立された。
それで初期の糸満高等学校には、「一中」と「二中」の生徒が大勢、集まっていた。

亡くなった叔父も生きていたならば、糸満高等学校に通っていただろう・・・

叔母や母から、祖父の朝礼の話は何度も聞いたことがあるが
聞くたびに、祖父の気持ちを考えてしまい、私の胸は「ギュ」と締め付けられる。
そして、3名は無言になり、涙が溢れ出す。

いつか、甲子園球場で「糸満高等学校の校歌」を聞きたいなぁ〜
「チバリヨ〜、糸満高等学校 野球部!!!」



糸満高等学校 校歌  
  作詞  嘉味田 宗栄
  作曲  中村 昌直

世紀の潮 よるところ  
うるまの富を はらむ町
あらしにたえし 南山の
こごしき影の かたほとり
夢まどかなる 学舎に
朗らに響く 明けの鐘

 
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